東京高等裁判所 昭和45年(く)191号 決定 1970年10月27日
被告人 佐久間幸治
決 定
(被告人氏名略)
右の者に対する強姦、強制猥褻被告事件について昭和四十五年七月十三日水戸地方裁判所土浦支部が為した裁判官忌避申立却下決定に対し右被告人の弁護人安藤章、同高橋庸尚から適法な即時抗告の申立があつたので当裁判所は次のように決定する。
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の理由は申立人が連名で作成提出した抗告申立書に記載されたとおりであつて、その要旨は申立人らが前記被告事件につきその審理に当つた水戸地方裁判所土浦支部裁判長裁判官花岡学、裁判官玉井秀夫、同水口雅資に対する忌避申立を却下した原決定には事実誤認及び法令解釈を誤つた違法があるというにある。
よつて審按するに、取寄に係る一件記録に依れば(1)被告人佐久間幸治は前記被告事件につき昭和四十五年五月二十八日、水戸地方検察庁土浦支部検察官検事稲見摂五より水戸地方裁判所土浦支部に公訴を提起されたこと、(2)右被告事件の審理に当つた右裁判所は裁判長裁判官花岡学、裁判官玉井秀夫、同水口雅資三名の構成する合議体で第一回公判期日は昭和四十五年六月十六日であつたこと、(3)右第一回公判期日に於て被告人佐久間幸治の主任弁護人安藤章より右三名の裁判官に対し、花岡裁判官は右被告人に対する起訴前の勾留質問、勾留理由開示手続、保釈請求却下決定に対する準抗告申立事件に、玉井、水口両裁判官は右準抗告申立事件にそれぞれ関与しており、そのうえ右三名の裁判官によつて為された右準抗告棄却決定の理由中には右被告事件の被害者とされている甲野乙子の供述について「その供述は当時被告人から受けた個々の事実が極めて具体的に為され体験者でないと供述できないと考えられる部分も存し、弁護人の主張のように知能の遅れた未成年者の供述であるからといつて直ちにこれを排斥することはできない」と具体的な判断を示すなど、一応証拠の採否を行なつていることから考えると右各裁判官は本件について不公平な裁判をする虞があると思料されるという理由を以て忌避の申立てが為されたこと、(4)右弁護人らは昭和四十五年六月十六日付を以て忌避申立理由補充書と題する書面を前記裁判所に提出し、同年同月二十日右書面は右同庁に受理されていること、(5)前記裁判官玉井秀夫は前記検察官の請求により昭和四十五年五月七日被告人佐久間幸治に対する本件の逮捕状を発布し、右検察官の逮捕状請求書には昭和四十四年七月七日付茨城県鹿島警察署送付に係る一件記録及び被害者甲野乙子の検察官に対する供述調書が添付されていたこと、(6)前記裁判官花岡学は土浦簡易裁判所判事として前記検察官の請求により本件につき昭和四十五年五月九日右被告人に対する勾留状を発布し、同年同月二十日右弁護人らの請求により右被告人に対する勾留理由の開示を為し、右被告人及び弁護人らに対し被告人には検察官提出の一件記録中の被告人並びに参考人の各供述により罪を犯したと疑うに足りる充分な理由のあることを説示していること、(7)右弁護人らから被告人に対する保釈請求が同年同月二十九日に申立てられ、同年六月三日これが却下されるや弁護人らはこの却下決定に対し同年同月八日準抗告を申立て、同年同月十五日該申立は本件審理に当つている前記三名の裁判官の構成する裁判所によつて棄却されたこと、(8)右準抗告棄却決定の理由中には「ところで、被害者である甲野乙子の供述を検討するに、捜査記録によると、当時小学六年生で十二歳であつた同人の知能は小学一、二年生の知能しかなかつたが、買い物の際、千円あるいは一万円札を持たせてやつても、きちんとお釣を持つて帰つてきていたこと、善人、悪人の判断や、好きとか嫌いとかの基礎的な判断はできたことが認められる。一方同人の被害の現場についての供述を検討するに、その供述は、当時被告人から受けた個々の事実が極めて具体的に為されており、体験者でないと供述できないと考えられる部分も存し、弁護人の主張のように知能の遅れた未成年者の供述であるからといつて直ちにこれを排斥することはできない。かえつて知能の低い故に全く体験しない事実を創作して供述することの困難性を推測せしめるものである。これらを考えあわせると、刑事訴訟法八九条一号に定める理由を無下に否定することは出来ないと考える」と判示されていること、以上の諸事実が明らかである。
所論は、原決定が弁護人らの前記忌避申立を不適法として却下したのは刑事訴訟規則第九条の解釈を誤つたもので原決定にはこの点において法令の解釈を誤つた違法がある、と主張するので先ずこの点について審究する。
刑事訴訟規則第九条は裁判官に対する忌避申立の手続に関する規定で、同条第二項は「忌避の申立をするには、その原因を示さなければならない」と、また同第三項は「忌避の原因及び忌避の申立をした者が事件について請求若しくは陳述をした際に忌避の原因があることを知らなかつたこと又は忌避の原因が事件について請求若しくは陳述をした後に生じたことは、申立をした日から三日以内に書面でこれを疎明しなければならない」と定めている。右各規定に依れば忌避の原因は総てこれが存在について疎明を要するものであつて、所論のように忌避の原因について疎明を要するのは事件について請求又は陳述をした後忌避の原因を知らなかつたこと又は忌避の原因がその後に生じたことを理由として該申立をする場合に限ると解すべきいわれはない。右規則第三項は刑事訴訟法第二十二条但書の場合における手続を定めたものであるとする所論は独自の解釈というのほかはない。従つて原決定には右規定の解釈に関し所論のような違法はない。しかしながら、弁護人らが本件忌避申立でその原因としているところは、さきに(3)で認定したとおり、裁判官が被告人に対する逮捕状または勾留状の発布、勾留理由の開示及び保釈請求却下決定に対する準抗告申立事件に関与し、且つ右準抗告棄却決定の理由の中で事件につき予断偏見を抱いた判断をしているというにあつて、これら申立の原因のうち令状または決定は要式行為で裁判書によることを要するものであり(刑事訴訟法第六十四条、同第二百条、刑事訴訟規則第三十四条参照)、また勾留理由の開示については調書の作成を要するものであるから(刑事訴訟規則第八十六条参照)、本件忌避の申立の理由の存否は―これら調書等に記載されていない事項について訴訟関係人の陳述書等によつて補充される場合は別として―原則としてこれらの裁判書等(これに付属する一件資料を含む。以下同じ。)によつて検討されるべきことは必要的であり当然の事理でもある。そして、右申立においてはその原因事実を疎明する資料としてこれら裁判書等の存在を明示して引用していないが、申立自体によりこれら書類の存在は優に推測されるところであり、且つ申立人か右申立で原因事実として右の如き主張をしこれを理由あるものとしている場合には、特別の事情のない限り、暗黙の中にこれら書類を疎明資料としてその取調を求めているものと解することは申立の趣旨に照らし相当である。そうとすれば、他に特別の事情の認むべきものの存在しない本件においては、弁護人らは右申立と同時に同申立によつて存在並びにその取調を求める趣旨の推測できる裁判書及び調書につきこれを疎明資料としてその調査を黙示的ではあるが求めているものと認められ、しかもこれら書類は当時三裁判官所属の裁判所の所管に属し、同裁判所が右申立を刑事訴訟法第二十三条同第二十四条のいずれによつて処理する場合でも随時調査できるのであるから、右申立と同時に右の範囲においては疎明が為されたものということができる。然るに、原決定はこの点を看過して法定期間内に疎明が為されなかつたとして弁護人らの申立を不適法として却下したことは失当といわねばならない。
(なお、原決定は弁護人らの提出した忌避申立理由補充書をもつて疎明とみることは甚だ困難であるとしているが、この補充書の内容を検討してみるとそこには弁護人主張の各裁判官の勾留に関する処分等の具体的詳細な記載があつてこれを以て疎明ありと為し得ないわけではない。しかし、同書面が忌避の申立と同時に黙示的に令状等を疎明として取調を求めたものについて補充的な意味をもつ部分は別として、これ以外の部分は右黙示的申立には全然含まれていないものである。そして右書面が裁判所に受理されたのは昭和四十五年六月二十日で忌避申立の為された六月十六日の四日後であるから、右後段で指摘の部分は前記規則の定める法定の期間経過後に為されたものとして不適法たるを免れない。)
そこで進んで本件受訴裁判所の構成員たる各裁判官に所論のような忌避申立原因が存するか否かについて考究する。
一般に起訴前の強制処分に関与し、或いは起訴後第一回公判期日迄の間に勾留に関する処分をした裁判官(特に保釈請求却下の裁判をした場合でも)が当該被疑者を被告人とする事件の審理判決をしてもそのためにその裁判官が職務から除斥されることのないことは勿論、忌避の理由があるものともされないことは既に最高裁判所の判例とするところ(昭和二十五年四月十二日大法廷判決、最高刑集四巻四号五三五頁)である。従つて本件においても被告人佐久間幸治に対する本件被告事件の審理を担当する合議体の構成員たる各裁判官に前記の如き各処分を為した事実があるからといつて―従つてその処分に当り捜査官より提供された資料を検討していても―それだけで同裁判官らに所論主張の如き忌避申立原因が存するものということはできない。問題は右各裁判官が所論のような各処分を為すことによつて被告事件につき予断偏見を抱いたりその虞れがあるか否かということである。所論は準抗告棄却決定理由中の前記(8)記載の如き判示部分を以て本件については前記合議体の構成員全員が既に有罪の心証を得ていると極言するけれども、右判示部分を検討すればその文言中には将来事件の審判に関与する裁判官としては誤解を防止する趣旨に於て表現にいささか配慮が足りず措辞稍妥当を欠くきらいがないでもないとはいえ、その結語として「これらを考えあわせると刑事訴訟法第八十九条第一号に定める理由を無下に否定することは出来ないと考える」と判示しているのであるから、該決定は保釈請求を却下した原決定の当否の判断を為したに過ぎないもので、決して所論のように被告人に対する有罪の心証を得たという如きものではないとわなければならない。抑々裁判所が公判裁判所として証拠判断を為すのは厳格な証拠調手続を経る必要があり、この手続については刑事訴訟法が明らかに定めるところであるから、未だその手続を経ない右段階に於て右三裁判官が所論のような有罪の心証を得るなどということのある筈はなく、また三裁判官に於て被害者とされる甲野乙子の捜査官に対する供述調書を検討していてもそれは飽く迄も保釈の許否に関する当否の判断の資料としたに過ぎないことは前記認定のとおりであり、しかも右決定で問題の認定をしていてもそれは一応の認定に止まりこれを唯一の真実として強く固執する程のものでないことは結語に於て刑事訴訟法第八十九条第一号所定の理由の存在を積極的な表現で判示しないで無下に云々と判示している点に徴すればこれを窺知し得ないではなく、結局右三裁判官が将来公判裁判所として行なう証拠判断は一に刑事訴訟法の定むる手続に従つてなされるテストの結果如何に繋つており、令状段階での判断にこだわるものとはにわかに認め難く、その他右各裁判官が検察官に対し事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物の提出を命じたり、検察官から提出される書類等につき予断を抱いたとかの事跡の認められない本件に於ては、三裁判官が被告事件につき予断偏見を抱いているとか抱く虞れがあるとは到底認められないから、所論は理由がないものといわなければならない。
なお所論は原決定に於ける刑事訴訟規則第百八十七条の解釈の誤を主張するが、原決定は玉井裁判官及び花岡裁判官が逮捕状の発布等強制処分に関与したのは起訴前のことで起訴後のことを規定した右規則第百八十七条には該当しないと判示しているのであり、また保釈却下決定に対する準抗告があつた場合の抗告審の裁判については右条項にいわゆる「勾留に関する処分」中に含まれないとはしていない。それはそれとして、右同条に規定する「勾留に関する処分」の字句の意義を如何様に解するにしても、勾留に関する処分をした裁判官が当該事件の審理に関与しても除斥の理由がないのはもとよりそれだけで忌避申立の原因ともならないことは既に説示したとおりであるから、原決定には所論のような違法はない。
以上の次第で原決定には弁護人らの忌避申立を不適法として却下した点に於て誤があるが、右申立が採用できないものである以上原決定は結局相当であるといわなければならないから、本件申立はこれを棄却すべきものとし、刑事訴訟法第四百二十六条第一項に則り主文のとおり決定する。